出典:黙示録の大予言:169~170頁
加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラーズ
《現実に進行中の大崩壊》
バブルがはじけたあと、都市のビルは空き室だらけだ。
ついこのあいだまで「第15〇〇ビル」といったふうに、
次々にビルを建て増して、世界に誇る富豪だと自認し、
それが子々孫々にまで続くと誇っていた連中が
いまやテナントのいないガラガラのビルを抱えて、
毎日どんどん積もっていく維持費の圧力に押し潰されかけている。
これもまた文字通り
「現代のバベルの塔の、誰の目にも見える崩壊」寸前の姿である。
私がバブル以前から、
ノストラダムスの「深刻な大不況がくる」という大予言を紹介して、
繰り返し警告し続けてきたのに、それ以後にもビルを建て続けた者がいた。
それは街を歩けばどれだけ増えたかわかる。
それは「愚かさの象徴」以外の何ものでもない。
その持ち主たちは「また好景気が来て満室になる」と信じている。
だが彼らの予測が当たるものなら、
いまのような苦境にはおちいらなかったのである。
彼らは自分が何をしたのかさえも、まだわかっていないのである。
『聖書』の描く愚かなバビロン王のように、
ただ高い塔さえつくれば神に勝てると思い上がって、
自分の手で自分を滅びの宿命の中に投げこんだのである。
彼がビルを建てようと思ったその時に、彼はもう滅んでしまっていたのである。
こうして『聖書』の世界、『黙示録』の時代は、
まさにいま、その通りに再現されている。
これこそ、本当に注意して避けなければいけないものなのだ。
ところが作り話や、気味の悪い絵には恐怖を感じても、
自分をひどい目にあわせる事実には恐ろしさを感じないのは、
何かがマヒしているか、脳の成長が止まっているかである。
「崩壊」という表現を、テレビ画面で見るような、
文字通り「崩れ落ちる」ことだと思い、
予定の収益が赤字になっていても、
外観だけ建っていれば「無事」だと思っているようでは『黙示録』の比喩は理解できない。
資産を食いつぶす赤字ビルは収益ゼロよりまだ悪いのだ。
実物のバベルの塔は、いまのビル程度のものである。
『聖書』のいうバベルの塔の崩壊はそれが一つ倒れた話にすぎない。
いま起こっているのは日本だけでも、その数千倍、いや万倍に近い。
しかもそれは日本以外ではもっとひどい。
だからいま、バベルの塔の崩壊は、
世界中で幾万倍もの規模で起こっているのである。
『聖書』のバベルの塔が一つだけ崩れ落ちるのが不気味で、
幾万のビルが実質的に崩れている事実には気づかず、
なんとも感じないのは、まったく愚かというしかない。
真の恐ろしさがわからなくては、
身に迫る危険をどう防ぎようもないから、
「不幸になる印(しるし)」の持ち主だということになる。
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