出典:黙示録の大予言:148~149頁
加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラー
《印誌あらざるもの全て貿易することを得ざらしめたり》
だがそれは本当の「幸福」を人々にもたらすだろうか?
次を見てみよう。
「彼、この獣の像に生命を与え、これをしてもの言うことを得しめ、
またその像を拝せざる者をことごとくこれに殺さしむるの権を与えられたり」
これは資本主義の番人が、共産主義者や社会主義者や無政府主義者を弾圧した、
戦前の日本や戦後のアメリカを想い出させる。
それはいまから振り返ってみてもひどいものだった。
それがまた起こるというのだが、いまの日本ではちょっと考えられない。
しかし発展途上国の中には起こっても不思議ではないような国がある。
続けて原文を見てみよう。
「かれ衆人をして大小、貧富、地主、奴隷の分ちなく、
あるいは右の手、あるいは額に、印誌(しるし)を受けしむ。
印誌すなわち獣の名あらざる者、あるいはその名の数あらざる者は、
すべて貿易することを得ざらしめたり。
この獣の数日の義を知るものは知恵あり。
才知ある者はこの獣の数をかぞえよ。
獣の数は人の数なり、その数は666なり」
手や額に印をつけるというのは、いかにも古代的だが、
日本では江戸時代末期までそれに近い野蛮なことが、
徳川政権によって実際に行なわれていた。
そしていまは、人権思想が進み、憲法が整備されているので、
肉体を傷つけるようなことはしないが、
それとまったく同じ意味のことを、日本の現政府はまだ続けている。
それは何か?
ヨハネが、それのない者は
「すべて貿易(=取引き・企業活動)することを得ざらしめる」と書いているもの、
すなわち政府や地方自治体の「許認可」である。
人はそれを「お量付き」と呼んでいるが、
徳川時代に「入れ墨」されたこともまた「お墨付きになった」といっていた。
奉行所が官庁と名を変えていても、
その本質は現代になってもまだ変わっていないことを、
国民はよく知っているのである。
それをヨハネはもっとよく知っていたのだ。
許認可とはどんなものか。
それは法律によって禁止したものを、
一部にだけ独占させるというシステムである。
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