2011年9月4日日曜日

神罰は神の教えに背いている全キリスト教徒にくだる


 出典:黙示録の大予言:117~118頁
    加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラー

 《神罰は神の教えに背いている全キリスト教徒にくだる

 金銭はローマ時代にはもう現代のように使われていた。

 そしてすでに諸悪の根源だと悟られてもいた。

 ただ、この第6の封印の文章で問題があるのは、

 「石のお金」はいまでもヤップ島などに石貸が残っているが、

 「木の貨幣」というのはない。

 だからこの予言は金残のことではなく、

 「偶像」に関することだという反論がありそうなことである。

 たしかに偶像崇拝と諸悪は結びつく。

 宗教の名で人を集めてサギ行為をする者が絶えないし、

 日本から巨額の金をさらって海外へもち帰った者がいることも事実だ。

 だからこれは両方にかけた《予言》だとすべきである。

 だがそうするとヨハネは致命的な誤りを犯したことになる。

 彼は「木の偶像」を拝むことを非難しているが、

 キリスト教の教会へ行けば必ず「キリストの像」がある。

 それは木製もあれば石彫りもあり、金銀鋼はおろかプラスチック製もある。

 ところがこの『黙示録』の神託が書かれたハリカルナッススも偶像をおかない神殿だった。

 だからこの非難の文章はヨハネの書いた部分ではなく、もとの神託部分だとわかる。

 ヨハネ当時のキリスト教は、イエスの架刑像を飾るというような悪習はなかった。

 だからヨハネは、ギリシャ教徒が書いた文章をそのまま使っても少しも気にならなかった。

 日本人は、キリスト教は『黙示録』なんか、

 当然とっくに徹底的に研究ずみの、ゆるがない権威のある宗教だと思っているが、

 その実態ばこんな程度で、全数合の存立がかかっている

 『新約聖書』にさえ、こんな重大なミスがある。

 ヨハネはイエスの弟子として教会の未来にいちばん関心が深かったのだから、

 この《予言》はキリスト教徒への《予言》であり警告である。

 異教徒が『黙示録』を読むことなんか期待できない時代の作品だからだ。

 ところが現実には偶像を祭る「別の宗教」になってしまっている。

 『黙示録』の解読は、この点を見逃すとすべてが逆に見えてしまうが、

 『黙示録』の描く神罰は、

 いま神の教えに背いている全キリスト教徒にくだることになっているのである。

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