出典:黙示録の大予言:121~123頁
加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラー
《口で甘く腹で苦くなるものは何か?》
「巻物」は昔の本である。
だからそれを食べても仕方がない。
それを読めば《予言》できるようになる、
という「たとえ話」であることは誰にもわかる。
「予言する」というのは、人に「ものを教える」ことの一つである。
「ものを教えること」には「未来には、こうなる」というのと、
「こうすれば結果はこうなる」というのと二つある。
前のほうは
「理由はわからないが、結果だけが先にわかっている」もので、
ふつう《予言》といっているものは、これに属する。
「こうすれば結果はこうなる」というのは「因果関係」であって、
科学も宗教もそれを明らかにしようとしているからこれに属する。
その違いは、科学は手当たり次第にそれを実験によって確認し、
整理していくが、宗教のほうは人間の行為と結果だけを、
実験するわけにいかないので、過去の体験をもとに悟ろうとする。
そして教え導こうとする。
ニセ宗教は別だが、まともな宗教は、
苦い思いをする人を一人でも減らし、
苦い目にあってしまった人の背きを減らそうと努力している。
ヨハネは宗教家だから、彼の苦い体験と、
その巻物に書かれた他の人々の苦い体験とを生かして、
人々を教え導くことができるようになった、という意味だと理解すると、
この話は意味がよくわかってくる。
あなたは苦くない人生をお望みだと思う。
だが未来は果してどうだろうか……。
そこであなたの一生を簡単に占う方法がある。
それはあなたは「明るい夢が好きか」それとも「暗い未来に関心があるか」、
ご自分で判断なさるだけでいいのである。
暗いこと、面倒臭いこと、嫌なことは見たくも聞きたくもない、というのなら、
あなたは必ず「不幸になる宿命」をもった人である。
一生「幸福のキップ」なんか「絶対に」手に入らない。
なぜなら、
幸福な人生という物は一生の間
「不幸に襲われないですむ」ということが前提条件だが、
それには、最低限、未来に悪い事態が起こった場合の
「暗いこと、面倒臭いこと、嫌なこと」から
先に想定して考える「知性」をもっていなくてはだめだからである。
ヨハネが教えるのは、ごの『黙示録』の恐ろしい話とその結果なのだから、
「苦い」のはその「恐ろしさ」のことなのである。
ただ、彼は古代人だから私たちと常識が違う。
言葉が違う。
表現が違う。
理想の中身も違う。
幸福だって、彼が幸福だと思うことと、
あなたが夢に描いていらっしやることとは、ずいぶん違うはずである。
しかし、「不幸」のほうは同じだといいきれる。
それは古代もいまもまるで変わらないからである。
あなたが本当に幸福になりたかったら「幸福とは何か」という、
しつかりした 「定義」を知らなければならない。
この本を全部お読みいただけば、
この世にはあなたを助けるチヤネラーや、
一般に「神」と呼んでいるものが本当に実在することを信じていただけると思うが、
あなた自身がなにが幸福かわからないでいたのでは、
そのチヤネラーや神がどんなに親切にあなたの願いをかなえようと思っても、
何をどう与えればいいのかわからない。
これではいくら熱心に幸福を求めても、得られるはずがない。
幸福の定義は「相対的なもの」ということだ。
それは「不幸」と比較して初めて「幸福だ」といえるものである。
どこまでが幸福、どこからが不幸という境界も、量の区別もない。
最悪の状態を脱したら「やれやれ!」と喜ぶ。
それも幸福の一種だということになる。
曖昧なものなのだ。
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