2011年9月14日水曜日

大悪魔が血で天上に君臨する

 出典:黙示録の大予言:133~135頁
    加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラー

 《大悪魔が血で天上に君臨する

 それは一見、国家中心のエゴ=ナショナリズム(国家主義)に見えていたが、

 その中身はこんな子供ダマシだった。

 だからこそ、それを成功させるには、国民の思考力を低く抑えておく必要があった。

 だが、その結果がどうなったか?

 旧共産圏の旧ユーゴと北朝鮮が内戦と破滅的経済の中でもがき苦しんでいる。

 この極悪の元凶をノストラダムスは、いみじくもサターンと呼んでいる。

 スターリンを発音どおり(Sutarin)と書けば、

 そのままブルターニュ読みの(サターン)なのだ。

 ではスターリンは果して『黙示録』のサタンとも対応しているのだろうか……。

 彼はマルクス、レーニンとは無関係な「スターリン主義」でソ連を支配した。

 それは彼を「神」として崇める「宗教」だった。

 国中至るところに彼の巨大な肖像画と写真が溢れて、

 国民はそれを見て安心立命していた。

 だからクレムリン宮殿は神殿であり、彼は神のようにすべてに正しく、

 またユダヤ教のエホバのように唯一の支配者で、

 エホバのように彼に背くすべての者に極刑を下す恐ろしい存在だった。

 彼が支配した当時のソ連とは

 「ユダヤ教そっくり」の「宗教国家」だったのである。

 それは「絶対の神が支配する神国」だったといいかえてもいい。

 戦前の大日本帝国とまったく同じ質の「神国」だったのである。

 彼は間違いなく神と同じく「天上に」いたのだ。

 だがいまでは、徹底した「スターリン批判」によって、

 まさしく天上の神の玉座から「地に遂(お)いおろされた」。

 彼はどこからみても間違いなく『黙示録』のサタンそのものである。

 では、彼はどんなにして、そんな神のような地位に昇り、

 そして転落したのか、その歴史を簡単にふり返ってみよう。

 1938年、彼は有名な「血の大粛正」をやった。

 ブリユツヘルやトハチェフスキーといった

 ソ連軍最高指揮者の三元帥を始め、

 軍司令官400人を含む5000人を超える

 優秀な将軍将校を全部銃殺にして皆殺しにし、

 万に達する将校の身分を剥奪して、

 重罪人としてシベリアの収容所にほうりこんでしまったのだ。

 国家主義者に独裁権を奪われると、

 国民は「国家のため」という名目でどんな目にあうかというサンプルがここにある。

 私が繰り返し忠告し続けるのは、それが繰り返し各国で実際に起こるのを、

 見続けてきたからである。

 それなのにいままた、日本でもドイツでもロシアでもイタリアでも、

 またぞろファシストの幽霊がうごめき始めている。

 あなたが怠けてそれを放置しておくと、

 あなたの幸福は、必ずめちゃめちゃになるに決まっているのである。

 1940年、ソ連はフィンランドと戦った。

 数の上で圧倒的多数を誇ったソ連軍が、

 見るも無残な敗戦を続けて世界の嘲笑の的になった。

 それは当然のことだった。訓練された賢明な指揮者を失った後のソ連軍は、

 文字通り「案山子(かかし)」だったからである。

 1941年6六月、その弱体を見たヒトラーは、

 アッという間にポーランドを占領して、

 レニングラード、モスクワ、ウクライナヘ侵攻した。

 兵力では3分の1、戦車に至っては7分の1のドイツ軍が、

 わずか5カ月後の12月には首都モスクワを包囲してしまった。

 それがおちなかったのは、面子に構っていられなくなったスターリンが、

 恥も外聞もなく大あわてで、

 収容所に生き残っていた将校を駆り出して前線に送ったからである。

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