2012年1月23日月曜日
「死の黄金の世紀」と「七・千年」
出典:黄金の世紀:185~186頁
加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラーズ
《「死の黄金の世紀」と「七・千年」》
《「死の黄金の世紀」と「七・千年」》
「9-17」
「その三 第一より多く ネロ 逃げるしかないのか。
なんと 勇ましい人問が血を撤き散らすのをみる。
その内心では 武器で再建するつもり、
死の黄金の世紀に 偉大な資質のある新しい王」
第一=西欧軍。
第二=イスラム軍。
三=チランの第三軍、
この第一、第二の人類を平気で殺す
利己主義者ども=暴君ネロのような奴等は、
口では美辞麗句をならべるが、
内心では武力で世界制覇しようと夢見るが、
結局逃げるしかない末路にまで自分を追い込む。
そのとき世界の人々 が見るのは、
空っぽ頭の勇士どもがわけもわからずに闘って、
あたり一面に人間の血をまきちらす惨劇だけ。
こうみてくると、「ネロ」は無能な世界の帝王。
その武力のみによる世界弾圧の失敗で人望を失い、
姿を消すしか方法がなくなるところまで落ちる。
その結果、「死の黄金の世紀に、偉大な資質のある新しい王」が出現する。
ということになる。
「死の黄金の世紀」…… 。
黄金の世紀は素晴らしい世紀ではなかったのか?
これはどういうことなのだろう…… 。
これは「世紀」という言葉をよく考えて見れば謎がとける。
世紀とは、いうまでもなく、一○○年を単位にした時間帯の区分法である。
それだから二十世紀は紀元二○○○年で終り、
二十一世紀は二○○一年から始まる。
だから黄金の世紀とは二十一世紀のことで、
その世紀は二○○一年から始まる。
けれどもその初めから理想的な黄金の日々 に変わるのではない。
暗黒の日々 が続くとすれば、そのあいだは「黄金の二十一世紀」の中に入っていても、
とうてい「黄金の世紀」などと呼べたものではない。
そこでノストラダムスはその期間を、
「黄金の世紀」が死んでいる期間というのを省略して
「死の黄金の世紀J と呼んだのである。
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