2011年8月10日水曜日

信託の中に反映していたアレクサンドロス王家の歴史


 出典:黙示録の大予言:73~74頁
    加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラー

 《信託の中に反映していたアレクサンドロス王家の歴史

 オリムピアスの信仰対象が

 「酒の神のディオニュッスス」だったことはお話しした。

 そして『カピトーリウム神託集』のもとになったハリカルナッスス神殿の祭神もまた、

 同じ「ディオニュツスス」だった。

 その神殿はアレクサンドロス帝国時代に建設されたのだから、

 アレクサンドロス時代のあと、その神殿で行なわれた神託に、

 建国の英雄たちの神格化と信仰が色濃く混じっていたことは不思議ではない。

 そこで『黙示録』に現れたその遺物である4つの「色」の、

 出現の「順序」が問題になるのである。

 私はつい今しがた

 「この西南北東、この方角の順序は何を意味しているのだろう?

  それはギリシャの建国史を知っていると、一目瞭然なのである」

 と申しあげた。

 一体どう一目瞭然なのだろう?

 ギリシャ大帝国の建国は、一般にアレクサンドロスの業績のように誤解されているが、

 それはこれまでご覧いただいたように、その父ピリッピクスが基礎を築きあげたものだった。

 そして、そのまた母体になったマケドニア人は、ギリシャの土着人ではなく、

 はるか東から移ってきたインド・アーリア人
だった。

 それはハル・マゲドンやマガダといった地名や国名が、

 彼らと共通していることでも証明されている。

 だからまず「西征」が初めで、

 これが最初の馬の色「西=白」に一致するのである。

 彼らはいったんドナウ川(ダニューブ〉の源、カルパチア山脈のあたりに住んだあと、

 今度は南に進んでバルカン半島を南下し、

 旧ユーゴスラビアの南端、いまのマケドニア地方に定着した。

 これが「南征」=第二の馬の色「南=赤」に一致する。

 第3の「黒」は北だから、

 これはマケドニアの北に隣りあっていたペオニアを

 ピリッピクスが征服併合して大マケドニアを作りあげ、

 ギリシャ連邦の支配者の地位を築いたことの勝利の記憶である。

 最後の「青=青竜=東」は、最後の仕上げ、アレクサンドロスの「東征」。

 まずへレスポントを通ってペルシャに入った彼は、

 グラニクス河でペルシャ守備軍を破り、

 南下してハリカルナッスス城を大激戦の末におとした。

 ハリカルナッススは、大王にとって最初に手にいれた都城で、

 生涯、忘れることのない記念すべき地であった。

 そこに神殿が建てられたのは当然のことである。

 それ以後のダリウス・ペルシャ帝国皇帝とのイッススの戦いから、

 インド・パンジヤブ征服までの歴史は、あまりにも有名で、

 ここでお話ししてもページがむだになるだけである。

 これが「東征」=第4の馬の色「東=青」に一致する。

 これでアレクサンドロス王家の歴史が、

 そのハリカルナッスス神殿で作られた神託の中に反映していたことと、

 その順序の意味がおわかりいただけたと思う。

 アレクサンドロスが勝利者になれたのは教育の力だった。

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