2011年8月9日火曜日
オリムピアスの悲惨な勝利
出典:黙示録の大予言:72頁
加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラー
《オリムピアスの悲惨な勝利》
だがこの人工天才は、対立する父と母との間で、
完全に分裂症患者に育て上げられてしまった。
プルタークは『英雄伝』の中で書いている。
「敵の大都市が陥落した。
○○大戦に大勝した、という報告がきても、
アレクサンドロス少年は顔をしかめるだけであった。
そしていつも学友にいった。
親父はみんな先き取りしてしまう。
……これじゃ、僕が君らとやる大事業なんか残らないよ……」
こうした話が父の耳に入らぬわけがない。
そんな教育で彼の最大の夢を台なしにぶちこわした妻に対する憎しみが、
美しいマケドニア娘・クレオパトラとの第二の結婚となってはねかえつた。
紀元前337年のその婚礼の式の宴会で、
この呪われた父子はあわや殺しあいを演じるところまでいく。
その翌年の336年、
アレクサンドロスの妹と、すでにエピルス王になっていたオリムピアスの弟との、
姪と叔父との結婚式場で、
「誇大妄想で仕事狂の粗大ゴミ亭主」ピリッピクスは、
白衣を着ただけの丸腰で行列の中央を上機嫌で進んでいるところを、
自分の親衛隊員の一人に殺された。
その場でその犯人も殺されたが、オリムピアスは夫の葬式に負けない規模の葬式を、
そのテロリストのためにも行なうように命じたのである。
こんなお語をしたのは、その後のギリシャの人心が、
オリムピアスの神秘主義に大きく傾いた理由を知っていただくと、
「4神」の問題がいっそうよく理解していただけるからである。
アレクサンドロスが勝利者になれたのは教育の力だった。
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