出典:黙示録の大予言:67~68頁
加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラー
《『黙示録』と『日本誕生』の驚くべき符号》
これでは3方向だけしかない。
「4道将軍」とは絶対に呼べない。
『記・紀』を始め古代文献にある地名を精密に分析整理してみると、
最初は沖縄・台湾から始まって、同じ国名が次々に南から北へ東へと移動し、
次第に大きくなっていった痕跡が歴然としている。
だからその食い違いは、
[崇神紀]の「丹波」を今の丹波だと誤解したことに原因がある。
丹波のルーツは、
その国名が「タン・国(バ)」だから、文字を変えれば、
「淡之国しでこれは「アワ・シマ」とも「オオ・シマ」とも読みかえられた
奄美大島のことであり、それが北上した「タン=タネ・シマ=種子島」のことでもある。
この「丹」はさらに重要な意味をもっている。
それは「赤」を意味する言葉なのである。
だから丹波とは「赤国」という名であり、
それは「南の国」という意味でもある。
どこから見ても現在の兵庫県の丹波地方ではありえない。
薩南諸島のことなのである。
これらの島々なら間違いなく南にある。
といっても奈良や京都の南にはない。
鹿児島の南である。
だから崇神天皇の都は、鹿児島付近にあったのである。
かりに九州北部にあったとすれば、南は広大な九州全域だ。
一人の将軍ではとても南西諸島まで遠征できない。
私(加治木義博)の
『黄金の女王卑弥呼』と
『卑弥呼を攻めた神武天皇』をお読みいただけば、
詳しく説明してあるように、
崇神天皇は『魏書倭人章』が卑弥呼の男弟と書いている人物で、
「山幸・海幸」の海幸にあたり、海幸が隼人族の初めということでもわかる通り、
鹿児島県の隼人町に都していた事実が、あらゆる文献の徹底検討で明確になっている。
またそれ以後の天皇家の歴史も、
この出発点に立ってこそ、初めて五彩圏の皇帝の歴史に一致する。
崇神天皇の都を奈良だと誤認するとすべてが食い違って、
『記・紀』は記録としての価値を失い、
現天皇家はいいかげんなニセモノということになる。
「4道将軍」は、邪馬壹国が鹿児島にあったという動かない証拠の一つなのである。
いまだに「邪馬台国はどこか?」と迷い、
高松塚も藤ノ木古墳も誰の墓かさえわからずにいるのは、
過去の古代史学説が、すべて根本的に間違っていたことの生きた証拠なのである。
答えが正しければ、まるで無縁と思われていた『黙示録』のようなものからでも、
完全に一致する答えに導かれる。
真実の答えは、どんな角度からでも、
どんなに縦横無尽に検討しても食い違いやボロが見つからない。
それが「真実」の貴さなのである。
これで『黙示録』には、「予言」という面だけでなく、
日本人にとって何ものにも代えられない貴重な
「歴史文化財」が内蔵されていることがおわかりいただけたと思う。
それを知っていただくこともまた、この本の重要な使命の一つだったのである。
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