2011年8月6日土曜日

『黙示録』と『日本誕生』の驚くべき符号

 出典:黙示録の大予言:67~68頁
    加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラー

 《『黙示録』と『日本誕生』の驚くべき符号


 これでは3方向だけしかない。

 「4道将軍」とは絶対に呼べない。

 『記・紀』を始め古代文献にある地名を精密に分析整理してみると、

 最初は沖縄・台湾から始まって、同じ国名が次々に南から北へ東へと移動し、

 次第に大きくなっていった痕跡が歴然としている。

 だからその食い違いは、

 [崇神紀]の「丹波」を今の丹波だと誤解したことに原因がある。

 丹波のルーツは、

 その国名が「タン・国(バ)」だから、文字を変えれば、

 「淡之国しでこれは「アワ・シマ」とも「オオ・シマ」とも読みかえられた

  奄美大島のことであり、それが北上した「タン=タネ・シマ=種子島」のことでもある。

 この「丹」はさらに重要な意味をもっている。

 それは「赤」を意味する言葉なのである。

 だから丹波とは「赤国」という名であり、

 それは「南の国」という意味でもある。

 どこから見ても現在の兵庫県の丹波地方ではありえない。

 薩南諸島のことなのである。

 これらの島々なら間違いなく南にある。

 といっても奈良や京都の南にはない。

 鹿児島の南である。

 だから崇神天皇の都は、鹿児島付近にあったのである。

 かりに九州北部にあったとすれば、南は広大な九州全域だ。

 一人の将軍ではとても南西諸島まで遠征できない。

 私(加治木義博)の

 『黄金の女王卑弥呼』

 『卑弥呼を攻めた神武天皇』をお読みいただけば、

 詳しく説明してあるように、

 崇神天皇は『魏書倭人章』が卑弥呼の男弟と書いている人物で、

 「山幸・海幸」の海幸にあたり、海幸が隼人族の初めということでもわかる通り、

 鹿児島県の隼人町に都していた事実が、あらゆる文献の徹底検討で明確になっている。

 またそれ以後の天皇家の歴史も、

 この出発点に立ってこそ、初めて五彩圏の皇帝の歴史に一致する。

 崇神天皇の都を奈良だと誤認するとすべてが食い違って、

 『記・紀』は記録としての価値を失い、

 現天皇家はいいかげんなニセモノということになる。

 「4道将軍」は、邪馬壹国が鹿児島にあったという動かない証拠の一つなのである。

 いまだに「邪馬台国はどこか?」と迷い、

 高松塚も藤ノ木古墳も誰の墓かさえわからずにいるのは、

 過去の古代史学説が、すべて根本的に間違っていたことの生きた証拠なのである。

 答えが正しければ、まるで無縁と思われていた『黙示録』のようなものからでも、

 完全に一致する答えに導かれる。

 真実の答えは、どんな角度からでも、

 どんなに縦横無尽に検討しても食い違いやボロが見つからない。

 それが「真実」の貴さなのである。

 これで『黙示録』には、「予言」という面だけでなく、

 日本人にとって何ものにも代えられない貴重な

 「歴史文化財」が内蔵されていることがおわかりいただけたと思う。

 それを知っていただくこともまた、この本の重要な使命の一つだったのである。

 『黙示録』

 『予言集』

 「ノストラダムス」
 『新説・ノスドラダムスの大予言』シリーズ
 「加治木義博」
 ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言
 『黙示録』
 『ノストラダムスの大予言』
  「言語復原史学会」

 『My ブログ』

 「歴史徒然」
 「ウワイト(倭人)ウバイド」
 「ネット歴史塾」
 「古代史の画像」
 「ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言」
 「オリエント歴史回廊(遷都)」
 「歴史学講座『創世』うらわ塾」 

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