2011年12月14日水曜日
過去の宗教が没落したとき、終わりなき見事な集団が見える
出典:黄金の世紀:90~91頁
加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラーズ
《過去の宗教が没落したとき、終わりなき見事な集団が見える》
《過去の宗教が没落したとき、終わりなき見事な集団が見える》
では、「天才」とノストラダムスが呼ぶその人物の作品によって、
彼の真の『 予言集=大予言』 がよみがえり、
べストセラーとして世界に満ちていって、
それだけで黄金の世紀が訪れるのであろうか……。
いや、そんなに簡単なものではない。
ノストラダムスはその結果として、
ある集団を眼にして次の詩を書いている。
「4-25」
「終わることのない見事な集団が眼に見える。
その人たちの理性を曇らせるものが訪れるだろうが集団。
理解力による大胆さ。指導者と眼に見えぬ者との判断力
彼らも祈祷の神聖感を減らした」
たいていの集団は離合集散を繰り返すが、
その見事な集団は、終わることがない=崩壊しない、という。
といっても迷いがないわけではない。
ときに感情的になって怒りや迷いで理性を
うしなわせるような事件も起こるが、
それでも集団が崩れることはない。
なぜか?
それはすべてをよく理解していることからくる大胆さと、
優れた指導者の存在とに加えて、
もう一つ、「見えない存在=霊」の教えという強力な味方があるからだ。
では「彼らも祈祷の神聖感を減らした」
というのはどういう意味なのだろう?
これは過去の宗教が、すべて神仏の神聖さを強調して、
神仏に祈れば御利益(ごりやく)があると信じ、
やみくもに祈祷を繰り返してきた。
「他力本願」の祈祷宗教が、
実はほとんど効果のない迷信にすぎなかったことに人類が目覚めるのに対して、
この集団の加入者は難問をすべて知性で解決するので、
祈祷は過去のような神聖感を失ってしまうというのである。
注意がいるのは、それはこの集団が生まれたからではなく、
人類の進化がそこまで理性化したためで、
集団はそれを加速させたにすぎないという点である。
だからノストラダムスは「彼らも……」と書いているのである。
この既成宗教の没落は架空のものではない。
本書にでてくる予言詩と、
本シリーズ既刊の
『人類最終戦争・第三次欧州大戦』の巨大戦争は、
イスラム、ユダヤ、キリスト教徒が生き残りを賭けた三つ巴の死闘であり、
バチカン消滅が描かれているのも決して空想ではないようだ。
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