出典:黙示録の大予言:43~44頁
加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラーズ
『聖書』はこれまで「人を教え導く書」だといわれてきた。
「予言書」だという人もいたが、
それは「いつ」「どこで」「何がおこる」という
[時]と[場所]が書いてないために、
未来の出来事を予言したものではないというのが、
世界の聖書学者の代表的見解だった。
戦後の日本ではふつう《予言》と書くが、
それは「豫かじめ=前もって、教える言葉」ということで昔は《豫言》と書いた。
ところが『聖書』には、この文字は使っていない。
古い日本語版にはすべて、「預言」と書いてある。
発音はどちらも「ヨゲン」だが、あとの方は「言葉を預ける」という意味である。
その違いは、《豫言》は、
最初にいったように「いつ」「どこで」「何がおこる」という
[時]と[場所]まで、はっきり「橡定」を、前もって教えるものである。
「預言」のほうは「いつ」「どこで」はわからないが、
「いつか」「どこかで」そんなことが起こるぞといっておくだけのもの、
期限の書いてない約束手形みたいなものなのだ。
だから『聖書』は『旧約』とか『新約』とか呼ばれる。
神が約束した事柄が書いてあるというのである。
いった方からみれば「確かに予告したよ」と、ゲタを預けたことになる。
だから「預言」なのだ。
このように、《豫言》と「預言」は、はっきり違うのである。
ところがこうした区別ができず、
《豫言》には[時]と[場所]が必要なことも知らずに、
「聖書は予言書だ」といって、さまざまな解説をする人間がいまでもいる。
日本でもそうした本がときどき現れては消えていった。
なに一つ当たらなかったからである。
だが、ヨーロッパではキリスト教徒が多く、
歴史も古いだけに、そうしたことはさらにひどく、
「あと何年たつと、世界のハルマゲドンが起こり、人類は全滅する。
悔い改めたものだけが救われる」というようなことをいって、
人々を不安に陥れて稼ぐ悪人が跡を絶たなかった。
戦後で有名なのはイタリア人ビアンコ医師で、
彼は1960年7月14日に世界は破滅するといって
人々を恐怖に陥れなが何事もなく、警察に逮捕された。
ちょうど日本でノストラダムスが
「1999年に人類が絶滅する」と予言していると称して、
ベストセラーになった本があるのと同じことである。
あとを絶たない「恐怖」商法の罪悪
《豫言》と「預言」
『聖書』は『旧約』とか『新約』とか呼ばれる
ハルマゲドン
『黙示録』
『予言集』
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『新説・ノスドラダムスの大予言』シリーズ
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ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言
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