出典:黙示録の大予言:48~49頁
加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラーズ
ドイツの歴史学者アルベルト・ヘールマンは、
古代に「原黙示録」に当たるものがあったが、
エジプトのアレクサンドリア大図書館が火災で焼けたときに消失してしまった。
しかし、その内容は断片的に
『エゼキエル書』『ダニエル書』『ヨハネ黙示録』に受け継がれたといっている。
だがこれも、誤解を生む舌足らずな説である。
なぜなら、エゼキエルは、
紀元前597年の第一次バビロニア捕囚の際にバビロンへ行き、
その5年後に活動を始めた人物。
ダニエルはそのエゼキエルが彼の手で
『エゼキエル書』の14章14節に
「そこに、かのノア、ダニエル、ヨブの三人あるも、
ただその正しき義によりて己れの生命を救うことを得るのみなり」
と書いているから、彼よりもさらに古い人物である。
そこに書かれた伝記は、粉飾のために書き加えられた部分は別として、
後世のタネ本にもとづいているわけがない。
ヘ-ルマンがいいたいのは、
3世紀から5世紀ごろに『聖書』に加えられた加筆部分のことなのである。
彼のいい方では「原黙示録の断片」をもとにして
『エゼキエル書』『ダニエル書』『ヨハネ黙示録』が
つくられたということになってしまう。
彼のいうアレクサンドリア大図書館は、
プトレマイオス・エジプト王朝が
紀元前322年に生まれたあと建てられた大図書館である。
だからヘ-ルマンのいう通りなら、
『エゼキエル書』と『ダニエル書』は、
はるか後世に作られた贋物ということになる。
だが後世の書き込みがどの部分かもわかっているから、
全部がつくり話なのではない。
それはエゼキエル自身が書いた部分の、
思想も律法も祭儀法も彼独特のもので、
歴史的に見ても同時代人でないと書けない多くの内容が、
それを立証している。
本当の原作にあたる「原黙示録」が何だったか、
すでに私の研究で詳しくわかっている。
それは古代ギリシャ時代からローマ時代にかけて、
強い信仰を集めていた太陽神・アポルローン(アポロ)を祭った、
ローマの7つの丘の一つ、
カピトーリウム丘にあったカピトーリウム神殿に保存されていたために、
『カピトーリウム神託集』と呼ばれている文献である。
これは実は、古代ギリシャの一州だったイオニアの、
ハリカルナッススにあったディオニュッスス神殿の巫女が行なった
「神託」記録の残欠の写しだったことも突きとめた。
その第3巻に『ヨハネの黙示録』とそっくり同じ内容が見つかったのである。
その神託が告げられた時期は、紀元前300年代に始まっている。
『黙示録』の筆者ヨハネは1世紀にそれを書いた。
どちらが「原作」だったかは考えるまでもない。
『エゼキエル書』と『ダニエル書』の加筆に使われたのが紀元後であることもまた、
いうまでもない。
原作は『カピトーリウム神託集』だった
アレクサンドリア大図書館
『エゼキエル書』『ダニエル書』『ヨハネ黙示録』
第一次バビロニア捕囚
プトレマイオス・エジプト王朝
太陽神・アポルローン(アポロ)
カピトーリウム丘にあったカピトーリウム神殿
『黙示録』
ハリカルナッススにあったディオニュッスス神殿
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