2011年7月31日日曜日

ヨハネはなぜ『黙示録』を書いたのか

 出典:黙示録の大予言:54~55頁
    加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラーズ


 過去の聖書学者がこれをヨハネの創作だと思いこんだのは、

 その書き出しが、いかにも彼の体験記録のように書いてあるためである。

 なぜ、彼はそんな書き方をしたのか? その答えは彼自身が書いている。

 文中の「彼」とは、イエス・キリストのことである。

 「見よ彼は雲に乗りてきたる。衆目、

  彼を見ん。彼を刺したる者もまたこれを見るべし」

 ここでヨハネはイエスの死を悲しみ、

 その犯人を威嚇するために、

 イエスが雲に乗って再び戻ってくるぞと強調しているのである。

 弟子たちにとって痛恨やるかたないイエス・キリストの死を、

 消極的に悲しんでばかりいないで、

 逆手にとって敵を恐れさせ、

 信者を集めるために活用しようという初期キリスト教団の、

 布教アイデアの一つとしてヨハネが考案した戦術が、

 この『黙示録』だったと、この一行ではっきり告白しているのである。

 だから彼は『黙示録』を、できるだけ恐ろしく、

 神秘なものに脚色したのである。

 冒頭にご覧に入れた神々の玉座の恐ろしさ、

 神秘さの表現が、この部分は、後の脚色部分だと証言している。

 彼はそれを『黙示録』の舞台装置に使って前書きとし、

 神が彼らの味方であり、いかに恐ろしい存在であるかを強調したのだ。

 しかし、彼は地中海に浮かぶ小島パトモス島で一生を終わった。

 それではせっかく『黙示録』を書き上げても何の役にも立たない。

 一体、どうするつもりだったのか……。

 それをその次に、はっきり書いている。

 「我ヨハネは……神の道とイエスの証しのために、

  パトモスという島に居りて、

  主の日に我、霊に感じてラッパの如き大いなる声の、

  わが後ろにあるを聞けり。いわく、

  なんじの見しところを書にしるして、

  これをアジアにある

  エぺソ、スムルナ、ベルカモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤの

  7つの教会に贈るべし」

 これはいかにも神秘な事件として書かれているが、

 要するに彼の霊感が命じたということで、

 彼の目的が、彼のこのアイデアを、その7教会で実践にうつせという内容なのだ。

 彼はそこでも「神秘と恐怖の衣」を着せることを忘れてはいないのである。

 エぺソ、スムルナ、ベルカモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤ

 7つの教会

 「神秘と恐怖の衣」
 
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