2011年8月20日土曜日
ヘレニズムの流れが生んだもの
出典:黙示録の大予言:75~76頁
加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラー
ヘレニズムの流れが生んだもの
そのアレクサンドロスの理想が、父の武力による暴力統一方式と、
母の宗教教化による平和統一方式の、
奇妙な合成物であったことはいうまでもない。
彼は紀元前333年ペルシャのダリウス3世をイッススの大戦で破ったあと、
331年アルベラの戦いで止どめを刺した。
超大国の皇帝は再び逃げる途中、味方の将軍たちの手にかかって死んだ。
だから彼は暴力でも父に劣らなかった。
だが、その後がおもしろい。
首都スサに帰った大王はダリウス3世の娘との結婚式をあげたが、
同時に将軍や友人たち90人と
数千人のマケドニア兵士にもペルシャ人の花嫁を迎えさせた。
「欧亜結婚」と呼ばれるこの「融和主義」が、
母オリムピアスの理想の実行だったことはいうまでもない。
従来は、アレクサンドロスの両親の悲惨な争いを、
いかにもありふれた家庭内暴力のようにしか見ない学者ばかりだったが、
それはあまりにも小さく浅薄である。
実際は根本的に相違する世界観と理想像の激突だった。
男性は現実的に人間の実態をリアルにとらえる。
女性は空想的に世界を美化してロマンチックにとらえる。
その永遠の相剋の宿命の落し子がアレクサンドロスであり、
『カピトーリウム神託集』であり、
『黙示録』であり、卑弥呼と垂仁天皇の争いが生んだ日本人でもあったのである。
それはヘレニズムの2大激流が生んだものだったのだ。
その『カピトーリウム神託集』は、イエスの教科書でもあった。
彼はアレクサンドリアの大図書館かどこかでその写本を読みふけった。
彼はオリムピアスの主張に同調した。
だがイエスもまた、
そのロマンの夢を現実主義のローマ人の暴力によって踏みにじられた。
ヨハネはイエスの死後にそれを読んで悟った。
彼が「アポカリプス=黙示」と呼んだ真意は、このことなのである。
それは、イエスは「黙して語らないが、彼はそれを悟りえた」という意味なのだ。
だが彼もまた男性だった。
彼は師が最も戒めた「復讐」と「恐喝」のために、それを使ってしまったのである。
『黙示録』
『予言集』
「ノストラダムス」
『新説・ノスドラダムスの大予言』シリーズ
「加治木義博」
ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言
『黙示録』
『ノストラダムスの大予言』
「言語復原史学会」
『My ブログ』
「歴史徒然」
「ウワイト(倭人)ウバイド」
「ネット歴史塾」
「古代史の画像」
「ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言」
「オリエント歴史回廊(遷都)」
「歴史学講座『創世』うらわ塾」
2011年8月10日水曜日
信託の中に反映していたアレクサンドロス王家の歴史
出典:黙示録の大予言:73~74頁
加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラー
《信託の中に反映していたアレクサンドロス王家の歴史》
オリムピアスの信仰対象が
「酒の神のディオニュッスス」だったことはお話しした。
そして『カピトーリウム神託集』のもとになったハリカルナッスス神殿の祭神もまた、
同じ「ディオニュツスス」だった。
その神殿はアレクサンドロス帝国時代に建設されたのだから、
アレクサンドロス時代のあと、その神殿で行なわれた神託に、
建国の英雄たちの神格化と信仰が色濃く混じっていたことは不思議ではない。
そこで『黙示録』に現れたその遺物である4つの「色」の、
出現の「順序」が問題になるのである。
私はつい今しがた
「この西南北東、この方角の順序は何を意味しているのだろう?
それはギリシャの建国史を知っていると、一目瞭然なのである」
と申しあげた。
一体どう一目瞭然なのだろう?
ギリシャ大帝国の建国は、一般にアレクサンドロスの業績のように誤解されているが、
それはこれまでご覧いただいたように、その父ピリッピクスが基礎を築きあげたものだった。
そして、そのまた母体になったマケドニア人は、ギリシャの土着人ではなく、
はるか東から移ってきたインド・アーリア人だった。
それはハル・マゲドンやマガダといった地名や国名が、
彼らと共通していることでも証明されている。
だからまず「西征」が初めで、
これが最初の馬の色「西=白」に一致するのである。
彼らはいったんドナウ川(ダニューブ〉の源、カルパチア山脈のあたりに住んだあと、
今度は南に進んでバルカン半島を南下し、
旧ユーゴスラビアの南端、いまのマケドニア地方に定着した。
これが「南征」=第二の馬の色「南=赤」に一致する。
第3の「黒」は北だから、
これはマケドニアの北に隣りあっていたペオニアを
ピリッピクスが征服併合して大マケドニアを作りあげ、
ギリシャ連邦の支配者の地位を築いたことの勝利の記憶である。
最後の「青=青竜=東」は、最後の仕上げ、アレクサンドロスの「東征」。
まずへレスポントを通ってペルシャに入った彼は、
グラニクス河でペルシャ守備軍を破り、
南下してハリカルナッスス城を大激戦の末におとした。
ハリカルナッススは、大王にとって最初に手にいれた都城で、
生涯、忘れることのない記念すべき地であった。
そこに神殿が建てられたのは当然のことである。
それ以後のダリウス・ペルシャ帝国皇帝とのイッススの戦いから、
インド・パンジヤブ征服までの歴史は、あまりにも有名で、
ここでお話ししてもページがむだになるだけである。
これが「東征」=第4の馬の色「東=青」に一致する。
これでアレクサンドロス王家の歴史が、
そのハリカルナッスス神殿で作られた神託の中に反映していたことと、
その順序の意味がおわかりいただけたと思う。
アレクサンドロスが勝利者になれたのは教育の力だった。
『黙示録』
『予言集』
「ノストラダムス」
『新説・ノスドラダムスの大予言』シリーズ
「加治木義博」
ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言
『黙示録』
『ノストラダムスの大予言』
「言語復原史学会」
『My ブログ』
「歴史徒然」
「ウワイト(倭人)ウバイド」
「ネット歴史塾」
「古代史の画像」
「ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言」
「オリエント歴史回廊(遷都)」
「歴史学講座『創世』うらわ塾」
2011年8月9日火曜日
オリムピアスの悲惨な勝利
出典:黙示録の大予言:72頁
加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラー
《オリムピアスの悲惨な勝利》
だがこの人工天才は、対立する父と母との間で、
完全に分裂症患者に育て上げられてしまった。
プルタークは『英雄伝』の中で書いている。
「敵の大都市が陥落した。
○○大戦に大勝した、という報告がきても、
アレクサンドロス少年は顔をしかめるだけであった。
そしていつも学友にいった。
親父はみんな先き取りしてしまう。
……これじゃ、僕が君らとやる大事業なんか残らないよ……」
こうした話が父の耳に入らぬわけがない。
そんな教育で彼の最大の夢を台なしにぶちこわした妻に対する憎しみが、
美しいマケドニア娘・クレオパトラとの第二の結婚となってはねかえつた。
紀元前337年のその婚礼の式の宴会で、
この呪われた父子はあわや殺しあいを演じるところまでいく。
その翌年の336年、
アレクサンドロスの妹と、すでにエピルス王になっていたオリムピアスの弟との、
姪と叔父との結婚式場で、
「誇大妄想で仕事狂の粗大ゴミ亭主」ピリッピクスは、
白衣を着ただけの丸腰で行列の中央を上機嫌で進んでいるところを、
自分の親衛隊員の一人に殺された。
その場でその犯人も殺されたが、オリムピアスは夫の葬式に負けない規模の葬式を、
そのテロリストのためにも行なうように命じたのである。
こんなお語をしたのは、その後のギリシャの人心が、
オリムピアスの神秘主義に大きく傾いた理由を知っていただくと、
「4神」の問題がいっそうよく理解していただけるからである。
アレクサンドロスが勝利者になれたのは教育の力だった。
『黙示録』
『予言集』
「ノストラダムス」
『新説・ノスドラダムスの大予言』シリーズ
「加治木義博」
ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言
『黙示録』
『ノストラダムスの大予言』
「言語復原史学会」
『My ブログ』
「歴史徒然」
「ウワイト(倭人)ウバイド」
「ネット歴史塾」
「古代史の画像」
「ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言」
「オリエント歴史回廊(遷都)」
「歴史学講座『創世』うらわ塾」
2011年8月8日月曜日
西南北東で示すギリシャ帝国建国史
出典:黙示録の大予言:70~71頁
加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラー
《西南北東で示すギリシャ帝国建国史》
この「西南北東」の方角が示す順序はなにを意味しているのだろう?
それはギリシャの建国史を知っていると一目瞭然なのである。
ギリシャは知らぬもののない
アレクサンドロス大王の父・ピリッピクス(Philipcs=英語読み・フィリップ)が
初めて統一した国である。
彼はそれまでは紀元前359年に即位したマケドニア王であった。
当時のマケドニアは産業も都市も遅れていて、海に面していながら港さえもない、
原始的な自給自足の農業国に過ぎなかった。
そこで彼は、現状打破は軍事強国化以外にないと考えて、生涯をそれに打ちこんだ。
妻は西隣りのエピルスの王女オリムピアスで、
サモトラケの祭りの儀式で出合って恋愛結婚をした。
そして3年後、アレクサンドロスを生んだ。
彼女は熱烈な宗教家で、その信仰は古来のギリシャ密教だった。
これは酒の神ディオニュッススを主に祭るもので、
私たちに関心のある
「カピトーリウム=ハリカルナッススの神託」と同じ宗教である。
中世ヨーロッパでキリスト教と対立して、
根強い勢力をもっていた黒魔術はこの密教の子孫なのである。
オリムピアスは自身、巫女として高い地位と強い権力をもち、
神託の技術にもすぐれていて、
神の使いと称する大蛇を飼い馴らして自由に操ったりしたので、崇拝者を多くもっていた。
そして、戦争を賛美し、人殺しの研究ばかりしている夫を野蛮だと、心から見くだしていた。
だから夫が戦争に勝って国民に賞賛されればされるほど、それを嫌った。
夫婦の意見はことごとに対立し、夫婦喧嘩の絶え間がなかった。
夫が戦場を駆け回り、都を留守にしている時、
息子アレクサンドロスの教育は母の手にあったが、
父は自分がこれから築き上げる大帝国の皇帝を夢見て、
息子をその後継者にふさわしい男に育て上げようと、
大哲学者アリストテレス始め多くの学者を家庭教師とし、
競争相手に優秀な頭脳をもった貴族の子弟を選んで、
一緒に勉強させるなど、
それ以前には例がなく、
現代でも珍しいほどの
「後継者教育」を世界で初めて実行していたのである。
アレクサンドロスが勝利者になれたのは教育の力だった。
『黙示録』
『予言集』
「ノストラダムス」
『新説・ノスドラダムスの大予言』シリーズ
「加治木義博」
ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言
『黙示録』
『ノストラダムスの大予言』
「言語復原史学会」
『My ブログ』
「歴史徒然」
「ウワイト(倭人)ウバイド」
「ネット歴史塾」
「古代史の画像」
「ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言」
「オリエント歴史回廊(遷都)」
「歴史学講座『創世』うらわ塾」
加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラー
《西南北東で示すギリシャ帝国建国史》
この「西南北東」の方角が示す順序はなにを意味しているのだろう?
それはギリシャの建国史を知っていると一目瞭然なのである。
ギリシャは知らぬもののない
アレクサンドロス大王の父・ピリッピクス(Philipcs=英語読み・フィリップ)が
初めて統一した国である。
彼はそれまでは紀元前359年に即位したマケドニア王であった。
当時のマケドニアは産業も都市も遅れていて、海に面していながら港さえもない、
原始的な自給自足の農業国に過ぎなかった。
そこで彼は、現状打破は軍事強国化以外にないと考えて、生涯をそれに打ちこんだ。
妻は西隣りのエピルスの王女オリムピアスで、
サモトラケの祭りの儀式で出合って恋愛結婚をした。
そして3年後、アレクサンドロスを生んだ。
彼女は熱烈な宗教家で、その信仰は古来のギリシャ密教だった。
これは酒の神ディオニュッススを主に祭るもので、
私たちに関心のある
「カピトーリウム=ハリカルナッススの神託」と同じ宗教である。
中世ヨーロッパでキリスト教と対立して、
根強い勢力をもっていた黒魔術はこの密教の子孫なのである。
オリムピアスは自身、巫女として高い地位と強い権力をもち、
神託の技術にもすぐれていて、
神の使いと称する大蛇を飼い馴らして自由に操ったりしたので、崇拝者を多くもっていた。
そして、戦争を賛美し、人殺しの研究ばかりしている夫を野蛮だと、心から見くだしていた。
だから夫が戦争に勝って国民に賞賛されればされるほど、それを嫌った。
夫婦の意見はことごとに対立し、夫婦喧嘩の絶え間がなかった。
夫が戦場を駆け回り、都を留守にしている時、
息子アレクサンドロスの教育は母の手にあったが、
父は自分がこれから築き上げる大帝国の皇帝を夢見て、
息子をその後継者にふさわしい男に育て上げようと、
大哲学者アリストテレス始め多くの学者を家庭教師とし、
競争相手に優秀な頭脳をもった貴族の子弟を選んで、
一緒に勉強させるなど、
それ以前には例がなく、
現代でも珍しいほどの
「後継者教育」を世界で初めて実行していたのである。
アレクサンドロスが勝利者になれたのは教育の力だった。
『黙示録』
『予言集』
「ノストラダムス」
『新説・ノスドラダムスの大予言』シリーズ
「加治木義博」
ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言
『黙示録』
『ノストラダムスの大予言』
「言語復原史学会」
『My ブログ』
「歴史徒然」
「ウワイト(倭人)ウバイド」
「ネット歴史塾」
「古代史の画像」
「ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言」
「オリエント歴史回廊(遷都)」
「歴史学講座『創世』うらわ塾」
2011年8月7日日曜日
四騎士は西南北東を表している
出典:黙示録の大予言:69頁
加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラー
《四騎士は西南北東を表している》
この「4騎士」の色の名は、そうした過去の研究書や解説書に欠けたものを、
鮮明に教えてくれる「緒(いとぐち)」になる。
『黙示録』は、それから見ていかない限り、無意味なのである。
まず念のため「4道将軍」の色から、もう一度、確認していこう。
抜き出してリスト・アップすると簡単になる。
大彦命 ・北陸=北=玄武=黒
武渟川別 ・東海=東=青竜=青
吉備津彦 ・西道=西=白虎=白
丹波道主命・丹波=南=朱雀=赤
順序は、『黙示録』は白赤・黒青で、
これと逆になっているが、同じ色がそろっている。
これを「偶然の一致さ……」といって、
それ以上の面倒から逃げようという無気力な、
頭の弱い人たちにはゴミほどの値打ちも発見できない。
どんなに小さなゴミでも見逃さずに、
それから真相を発見する能力を発揮したシヤーロック・ホームズのような、
生き生きしたあなたにこそこれは値打ちのある情報なのだ。
『黙示録』の原典は『カトーリウム神託集』なのだから、
それと『日本書紀』との2つが同じ表現を使っていても少しも疑問はない。
どちらもギリシャ文明の産物なのだということは、
もう先にお話ししたし、
それでも疑問のある方は『真説・日本誕生』シり-ズで、
事実かどうお確かめいただけばいい。
するとこれまでの聖書学者が見落としていたことが、早速、一つ見つかる。
それは4騎士は「東西南北の四方を意味している」ということである。
これがわかるとすぐ、またもう一つ見つかる。
それはその白赤黒青という「出現の順序」である。
これは西南北東の順だ。
『黙示録』
『予言集』
「ノストラダムス」
『新説・ノスドラダムスの大予言』シリーズ
「加治木義博」
ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言
『黙示録』
『ノストラダムスの大予言』
「言語復原史学会」
『My ブログ』
「歴史徒然」
「ウワイト(倭人)ウバイド」
「ネット歴史塾」
「古代史の画像」
「ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言」
「オリエント歴史回廊(遷都)」
「歴史学講座『創世』うらわ塾」
加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラー
《四騎士は西南北東を表している》
この「4騎士」の色の名は、そうした過去の研究書や解説書に欠けたものを、
鮮明に教えてくれる「緒(いとぐち)」になる。
『黙示録』は、それから見ていかない限り、無意味なのである。
まず念のため「4道将軍」の色から、もう一度、確認していこう。
抜き出してリスト・アップすると簡単になる。
大彦命 ・北陸=北=玄武=黒
武渟川別 ・東海=東=青竜=青
吉備津彦 ・西道=西=白虎=白
丹波道主命・丹波=南=朱雀=赤
順序は、『黙示録』は白赤・黒青で、
これと逆になっているが、同じ色がそろっている。
これを「偶然の一致さ……」といって、
それ以上の面倒から逃げようという無気力な、
頭の弱い人たちにはゴミほどの値打ちも発見できない。
どんなに小さなゴミでも見逃さずに、
それから真相を発見する能力を発揮したシヤーロック・ホームズのような、
生き生きしたあなたにこそこれは値打ちのある情報なのだ。
『黙示録』の原典は『カトーリウム神託集』なのだから、
それと『日本書紀』との2つが同じ表現を使っていても少しも疑問はない。
どちらもギリシャ文明の産物なのだということは、
もう先にお話ししたし、
それでも疑問のある方は『真説・日本誕生』シり-ズで、
事実かどうお確かめいただけばいい。
するとこれまでの聖書学者が見落としていたことが、早速、一つ見つかる。
それは4騎士は「東西南北の四方を意味している」ということである。
これがわかるとすぐ、またもう一つ見つかる。
それはその白赤黒青という「出現の順序」である。
これは西南北東の順だ。
『黙示録』
『予言集』
「ノストラダムス」
『新説・ノスドラダムスの大予言』シリーズ
「加治木義博」
ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言
『黙示録』
『ノストラダムスの大予言』
「言語復原史学会」
『My ブログ』
「歴史徒然」
「ウワイト(倭人)ウバイド」
「ネット歴史塾」
「古代史の画像」
「ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言」
「オリエント歴史回廊(遷都)」
「歴史学講座『創世』うらわ塾」
2011年8月6日土曜日
『黙示録』と『日本誕生』の驚くべき符号
出典:黙示録の大予言:67~68頁
加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラー
《『黙示録』と『日本誕生』の驚くべき符号》
これでは3方向だけしかない。
「4道将軍」とは絶対に呼べない。
『記・紀』を始め古代文献にある地名を精密に分析整理してみると、
最初は沖縄・台湾から始まって、同じ国名が次々に南から北へ東へと移動し、
次第に大きくなっていった痕跡が歴然としている。
だからその食い違いは、
[崇神紀]の「丹波」を今の丹波だと誤解したことに原因がある。
丹波のルーツは、
その国名が「タン・国(バ)」だから、文字を変えれば、
「淡之国しでこれは「アワ・シマ」とも「オオ・シマ」とも読みかえられた
奄美大島のことであり、それが北上した「タン=タネ・シマ=種子島」のことでもある。
この「丹」はさらに重要な意味をもっている。
それは「赤」を意味する言葉なのである。
だから丹波とは「赤国」という名であり、
それは「南の国」という意味でもある。
どこから見ても現在の兵庫県の丹波地方ではありえない。
薩南諸島のことなのである。
これらの島々なら間違いなく南にある。
といっても奈良や京都の南にはない。
鹿児島の南である。
だから崇神天皇の都は、鹿児島付近にあったのである。
かりに九州北部にあったとすれば、南は広大な九州全域だ。
一人の将軍ではとても南西諸島まで遠征できない。
私(加治木義博)の
『黄金の女王卑弥呼』と
『卑弥呼を攻めた神武天皇』をお読みいただけば、
詳しく説明してあるように、
崇神天皇は『魏書倭人章』が卑弥呼の男弟と書いている人物で、
「山幸・海幸」の海幸にあたり、海幸が隼人族の初めということでもわかる通り、
鹿児島県の隼人町に都していた事実が、あらゆる文献の徹底検討で明確になっている。
またそれ以後の天皇家の歴史も、
この出発点に立ってこそ、初めて五彩圏の皇帝の歴史に一致する。
崇神天皇の都を奈良だと誤認するとすべてが食い違って、
『記・紀』は記録としての価値を失い、
現天皇家はいいかげんなニセモノということになる。
「4道将軍」は、邪馬壹国が鹿児島にあったという動かない証拠の一つなのである。
いまだに「邪馬台国はどこか?」と迷い、
高松塚も藤ノ木古墳も誰の墓かさえわからずにいるのは、
過去の古代史学説が、すべて根本的に間違っていたことの生きた証拠なのである。
答えが正しければ、まるで無縁と思われていた『黙示録』のようなものからでも、
完全に一致する答えに導かれる。
真実の答えは、どんな角度からでも、
どんなに縦横無尽に検討しても食い違いやボロが見つからない。
それが「真実」の貴さなのである。
これで『黙示録』には、「予言」という面だけでなく、
日本人にとって何ものにも代えられない貴重な
「歴史文化財」が内蔵されていることがおわかりいただけたと思う。
それを知っていただくこともまた、この本の重要な使命の一つだったのである。
『黙示録』
『予言集』
「ノストラダムス」
『新説・ノスドラダムスの大予言』シリーズ
「加治木義博」
ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言
『黙示録』
『ノストラダムスの大予言』
「言語復原史学会」
『My ブログ』
「歴史徒然」
「ウワイト(倭人)ウバイド」
「ネット歴史塾」
「古代史の画像」
「ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言」
「オリエント歴史回廊(遷都)」
「歴史学講座『創世』うらわ塾」
加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラー
《『黙示録』と『日本誕生』の驚くべき符号》
これでは3方向だけしかない。
「4道将軍」とは絶対に呼べない。
『記・紀』を始め古代文献にある地名を精密に分析整理してみると、
最初は沖縄・台湾から始まって、同じ国名が次々に南から北へ東へと移動し、
次第に大きくなっていった痕跡が歴然としている。
だからその食い違いは、
[崇神紀]の「丹波」を今の丹波だと誤解したことに原因がある。
丹波のルーツは、
その国名が「タン・国(バ)」だから、文字を変えれば、
「淡之国しでこれは「アワ・シマ」とも「オオ・シマ」とも読みかえられた
奄美大島のことであり、それが北上した「タン=タネ・シマ=種子島」のことでもある。
この「丹」はさらに重要な意味をもっている。
それは「赤」を意味する言葉なのである。
だから丹波とは「赤国」という名であり、
それは「南の国」という意味でもある。
どこから見ても現在の兵庫県の丹波地方ではありえない。
薩南諸島のことなのである。
これらの島々なら間違いなく南にある。
といっても奈良や京都の南にはない。
鹿児島の南である。
だから崇神天皇の都は、鹿児島付近にあったのである。
かりに九州北部にあったとすれば、南は広大な九州全域だ。
一人の将軍ではとても南西諸島まで遠征できない。
私(加治木義博)の
『黄金の女王卑弥呼』と
『卑弥呼を攻めた神武天皇』をお読みいただけば、
詳しく説明してあるように、
崇神天皇は『魏書倭人章』が卑弥呼の男弟と書いている人物で、
「山幸・海幸」の海幸にあたり、海幸が隼人族の初めということでもわかる通り、
鹿児島県の隼人町に都していた事実が、あらゆる文献の徹底検討で明確になっている。
またそれ以後の天皇家の歴史も、
この出発点に立ってこそ、初めて五彩圏の皇帝の歴史に一致する。
崇神天皇の都を奈良だと誤認するとすべてが食い違って、
『記・紀』は記録としての価値を失い、
現天皇家はいいかげんなニセモノということになる。
「4道将軍」は、邪馬壹国が鹿児島にあったという動かない証拠の一つなのである。
いまだに「邪馬台国はどこか?」と迷い、
高松塚も藤ノ木古墳も誰の墓かさえわからずにいるのは、
過去の古代史学説が、すべて根本的に間違っていたことの生きた証拠なのである。
答えが正しければ、まるで無縁と思われていた『黙示録』のようなものからでも、
完全に一致する答えに導かれる。
真実の答えは、どんな角度からでも、
どんなに縦横無尽に検討しても食い違いやボロが見つからない。
それが「真実」の貴さなのである。
これで『黙示録』には、「予言」という面だけでなく、
日本人にとって何ものにも代えられない貴重な
「歴史文化財」が内蔵されていることがおわかりいただけたと思う。
それを知っていただくこともまた、この本の重要な使命の一つだったのである。
『黙示録』
『予言集』
「ノストラダムス」
『新説・ノスドラダムスの大予言』シリーズ
「加治木義博」
ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言
『黙示録』
『ノストラダムスの大予言』
「言語復原史学会」
『My ブログ』
「歴史徒然」
「ウワイト(倭人)ウバイド」
「ネット歴史塾」
「古代史の画像」
「ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言」
「オリエント歴史回廊(遷都)」
「歴史学講座『創世』うらわ塾」
2011年8月5日金曜日
『日本書紀』や『古事記』にも登場する「4騎士」
出典:黙示録の大予言:66頁
加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラー
《『日本書紀』や『古事記』にも登場する「4騎士」》
『日本書紀』にも、この「4騎士」が登場する。
それは崇神天皇の記事の中にある。
原文をご覧にいれよう。
『日本書紀』
[御間城入彦(みまきいりびこ)五十瓊殖(いにえ)の天皇(すめらみこと)]十年
「九月丙戊の朔甲午の日、
大彦命(おおびこのみこと)を北陸に遣わし、
武渟川別(たけぬなかはわけ)を東海に遣わし、
吉備津彦を西道に遣わし、
丹波道主命を丹波に遣わしき」。
この人々は崇神天皇に仕えていた武将だから、西欧の「騎士」と同じものである。
それは『黙示録』の騎士が、うしろに「……を従えて」と書いてあることでもわかる。
見落としてならないのは、その数が「4人」であることである。
さらに重要なのは、その派遣された方角である。
最後の丹波だけがあいまいだが、
他は、はっきり北・東・西と明記してある。
だから残るのは南だけである。
丹波というと今は兵庫県中部から京都府にまたがる広大な地域のことだから、
誰がみても都のあった奈良・京都からは「北」で、
その北は北陸だから、
北へ二人が重なって派遣されたという奇妙なことになる。
『黙示録』
『予言集』
「ノストラダムス」
『新説・ノスドラダムスの大予言』シリーズ
「加治木義博」
ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言
『黙示録』
『ノストラダムスの大予言』
「言語復原史学会」
『My ブログ』
「歴史徒然」
「ウワイト(倭人)ウバイド」
「ネット歴史塾」
「古代史の画像」
「ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言」
「オリエント歴史回廊(遷都)」
「歴史学講座『創世』うらわ塾」
加治木義博(言語復原史学会)・ムックの本・KKロングセラー
《『日本書紀』や『古事記』にも登場する「4騎士」》
『日本書紀』にも、この「4騎士」が登場する。
それは崇神天皇の記事の中にある。
原文をご覧にいれよう。
『日本書紀』
[御間城入彦(みまきいりびこ)五十瓊殖(いにえ)の天皇(すめらみこと)]十年
「九月丙戊の朔甲午の日、
大彦命(おおびこのみこと)を北陸に遣わし、
武渟川別(たけぬなかはわけ)を東海に遣わし、
吉備津彦を西道に遣わし、
丹波道主命を丹波に遣わしき」。
この人々は崇神天皇に仕えていた武将だから、西欧の「騎士」と同じものである。
それは『黙示録』の騎士が、うしろに「……を従えて」と書いてあることでもわかる。
見落としてならないのは、その数が「4人」であることである。
さらに重要なのは、その派遣された方角である。
最後の丹波だけがあいまいだが、
他は、はっきり北・東・西と明記してある。
だから残るのは南だけである。
丹波というと今は兵庫県中部から京都府にまたがる広大な地域のことだから、
誰がみても都のあった奈良・京都からは「北」で、
その北は北陸だから、
北へ二人が重なって派遣されたという奇妙なことになる。
『黙示録』
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